『弓』(キム・ギドク、2005年)映画のあらすじと解説

『弓』作品概要

韓国の映画監督キム・ギドクによる12番目の作品として、『弓』(2005年)は公開されました。2004年には『サマリア』がベルリン国際映画祭で銀熊賞、同年の『うつせみ』がヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞と、世界的な栄誉を立て続けに獲得したギドク監督。さすがに骨休め、という訳でもなかったようで、続く本作もカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品されています。

主演はハン・ヨルム。『サマリア』では援助交際をする女子高生を演じた彼女ですが、今回は箱入りの無垢な少女を演じています。

また、彼女と一緒に生活する老人としてチョン・ソンファン、少女が恋をする青年として、同監督『絶対の愛』(2006年)にも出演することになるソ・ジソクが配役されています。

釣り船の上で暮らす60歳の男と16歳の少女。夫婦の契りを交わす二人の関係を軸に、詩的な物語が綴られていきます。

『弓』あらすじ

韓国の沖合に停泊する一隻の釣り船。そこでは船長である60歳の老人と、外の世界を知らない16歳の少女が生活していました。

船にやって来る釣り客たちの間では、二人は間もなく夫婦となると噂されています。老人は少女を7歳の時に拾い、以来10年間にわたり手塩にかけてきたというのです。

もはや親子同然の仲となっていた二人でしたが、老人は少女と契りを交わす日を待ち望んでいます。

しかし、彼女は釣り客の青年に淡い恋心を抱いてました。青年もまた、あどけない少女に惹かれるようになっていきます。

少女の心が離れていくことを案じた老人は、婚姻の日を少しでも早めようとします。しまいには弓に矢をつがえ、青年を追い払おうとする老人。そんな彼を守ろうとする無垢な少女。

青年は少女の本当の両親を見つけ出し、船から連れ出そうとします。その運命を悟った老人は、少女を見送った後に自死する道を選ぼうとするのですが……。

『弓』解説

弓の持つ豊かなイメージ

『弓』はキム・ギドク監督のフィルモグラフィーの中もミニマルで象徴的な作品です。小さな釣り船を舞台とする物語で、主な登場人物は3人。それも老人と少女に関しては台詞がありません。この無言劇というのはギドク監督の作風の一つであり、あえて言葉を排除することで、映像や音楽のイメージをより鮮明にさせています。

この作品の場合、鮮やかなイメージの中心にあるのはタイトル通り「弓」でしょう。いわゆる「楽弓」のことを指すのですが、船上の老人が弓を弦楽器のように奏でる姿は荘厳で、映画全体が民族的な調べの中に包み込まれています。

それだけではなく、この楽弓を老人は"コンバート"し、武器としても使用することになります。少女をたぶらかす釣り客の男たちを、彼はロビン・フッド並みの腕前で威嚇してみせる。シュッと風を切る音とともに弓矢が甲板に突き刺さり、男たちは慌てて少女のそばから離れていくのです。

つまり本作の「弓」は音楽的なイメージであると同時に、映像的なイメージとしても活用されていることになります。この仕掛けは最高に面白い。「韓国は国弓(クックン)の国」などと言われますが、たしかに日本人には及ばない発想かもしれません。西部劇に銃があり、日本映画に刀があったように、韓国映画には弓がある訳です。

前近代的なものと近代的なもの

少しプロットに触れておくと、この弓をつがえる老人というのが、血のつながっていない16歳の少女を溺愛しているんです。二人の過去に関しては何も語られていないので、私たちはその理由を想像することしかできません。『ロリータ』のように、老人は亡くした妻の面影を彼女に見出したのかもしれませんし、『私の男』のように家族がいない孤独を埋めたかったのかもしれない。

ギドク監督の作品に触れたことがある人なら、これぐらいは序の口に思えるかもしれませんが、それでも異常な関係であることに変わりはありません。洋上の閉鎖された空間では、社会的な規範などいとも簡単に上書きされてしまい、新たな道徳が生み出されてしまう。この構造は『魚と寝る女』(2000年)以来といえるかもしれません。

しかし、そんな二人の間に割って入る者が登場します。それが釣り客の一人である青年で、あっという間に彼と少女は恋に落ちてしまいます。

彼が身に着けているヘッドフォンを少女に貸し与えます。そこにはソウルミュージックが流れていて、彼女を老人による楽弓の調べから隔離してしまう。これ見よがしに前近代のイメージと近代のイメージとが対置される訳です。

あとはもう、クライマックスに一直線。少女愛を捨てきれない老人の抵抗も虚しく、近代性が勝利を収める……なんてことにはなりません。詳しくは語りませんが、老人と少女は鮮やかなチョゴリを身にまとい、その愛を達成することになります。ふたたび弓のギミックが活かされ、大胆な表現とともに映画は幕を閉じます。

間違いなく言えるのは、それが極めて官能的で詩的なラブシーンだということです。このシーンだけでも、観なきゃ一生の損です。

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