
写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである。
——夏目漱石
「観察映画」とは何か。それは虚飾を排するための編集方法であり、出来事の連続性を回復させるための試みである。日常の偶発事をすくいあげる技法であり、それを多義的に差し出してみせる身振りでもある。
あるいは、一介の観客を批評家に仕立て上げる道標であり、カメラと被写体の政治性を浮かび上がらせる装置でもある。そして何より、無垢な子どもを振り向かせ、路傍の猫をまなざすような戯れでもある。
映画作家・想田和弘によるドキュメンタリー映画——「観察映画」と名付けられたその作品群は、2020年の時点で10本に達している。2007年の第1弾以来、観察映画の方法論はほとんど変わることなく、もはや説明もいらぬほど認知されたと言えるだろう。
だからこそ、あらためて問わなければならない。観察映画とは何か。その独創的な方法論はどのような文脈に由来し、どのような機能を果たし、どのような射程を持っているのか。観察映画の思想を繙き、それを直接に観察することは、今日の社会を推し測るための、有効な方策であるように思える。
目次
想田和弘監督の経歴
1970年栃木県足利市生まれ。映画作家。東京大学文学部を卒業後に渡米、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ映画学科を卒業。93年からニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手がけたのち、台本・ナレーション・BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。
——『THE BIG HOUSE アメリカを撮る』著者紹介
上記の経歴をもとに、いくつかの補助線を引くことができるだろう。たとえば人物の相関。『選挙』と『選挙2』の主役となった「山さん」こと山内和彦氏は、東京大学時代に監督と同級生の関係だった。愛嬌あふれるバガボンドの山さんによって、観察映画の歴史は始まったといって過言ではない。
また。東大駒場キャンパスのすぐ近くには、平田オリザが支配人を務める「こまばアゴラ劇場」があり、当時から劇団「青年団」が活動していた。実際に監督が公演を観たのは数年後だったようだが、この奇妙な縁によって『演劇1・2』が撮られることになった。
さらに、アメリカで出会った妻(観察映画の製作も担っている)は岡山出身であり、その両親は岡山市で訪問介護事業に携わっている。その仕事風景を映したのが『PEACE』であり、事業所の近くには『精神』や『精神0』に登場する精神科診療所(旧・こらーる岡山)がある。また、義母の生家は同じ岡山県の瀬戸内市「牛窓」にあり、この海辺の町を舞台に『牡蠣工場』と『港町』が撮影された。
こうして見ると、ほとんどの観察映画が極めて私的な領域で撮られていることが分かるはずだ。それはいわゆる「セルフ・ドキュメンタリー」(映像作家が自ら被写体となり、身の周りの出来事を記録した作品)のスタイルを想起させるが、しかし、両者はけっして重なり合わない。観察者が一人称で語ることはしない。そのことは、フィルモグラフィーを読み解く上での大きな鍵となる。
「観察映画」とは何か
そもそも「観察映画」とは、想田和弘の提唱するドキュメンタリーの方法論である。主としてテレビ・ドキュメンタリーに携わった経験から導き出されたもので、第1弾『選挙』(07年)から最新作『精神0』(20年)にいたるまで、全10作品にわたり実践されてきた。
観察映画の十戒
想田監督は自ら「観察映画の十戒」なるルールを課し、そのスタイルを明文化している。すでに方々で掲載されている内容だが、あらためて以下に引用しておこう。
1. 被写体や題材に関するリサーチは行わない。
2. 被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、原則行わない。
3. 台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
4. 機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。
5. 必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
6. 撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。
7. 編集作業でも、予めテーマを設定しない。
8. ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。
9. 観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
10. 制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。
1から3、あるいは7は、ひとえに目的論を排するためのルールと言える。テレビドキュメンタリーで見られるような、結論ありき、メッセージありきの製作手法とは異なり、観察映画は「予定不調和」を意図して作り出す。
たとえば『Peace』の場合、当初は野良猫の姿を観察していたカメラが、思いがけず福祉や戦争の断片を拾い集め、朧気ながら「平和と共存」のテーマを形成している。しまいには戦時中の思い出を語る独居老人が、おもむろに「ピース」の煙草を吸い始めるなど、偶然性に満ちあふれた作品だ。
8は最も特徴的なルールだろう。観察映画はナレーション、説明テロップ、音楽を用いない。こちらも多くのテレビドキュメンタリーとは一線を画す方法であり、作品に解釈の幅を持たせることを可能としている。
分かりやすい例は『ザ・ビッグハウス』だ。ミシガン州のフットボール・スタジアムを描いたこの作品は、奇しくも2016年の大統領選挙を捉えることになった。「トランプを大統領に」と書かれた山車が通り過ぎるショットは、注釈など挟まなくとも、観る者にスポーツと政治の関係性を考えさせてしまうのである。
この「十戒」の内容は最初期からほとんど変わっていない。それだけ「観察映画」が明確な方向性を持っていることを証明しているが、実のところ、その手法は作品を重ねるごとに若干のヴァリアントを生み出している。
たとえば『演劇1・2』の劇中では、音声トラックが完全にカットされた場面が存在する。第1部のラストで歌われる「ハッピーバースデー」の著作権を懸念したことに起因するが、結果として、ドキュメンタリーの虚構性を高める効果をもたらした。
このアイデアに手ごたえを感じたのだろうか、後の『港町』では全編モノクロームの映像処理が行われている。この大胆な試みも、やはりドキュメンタリーの虚構性を高めることに寄与している。舞台となった牛窓の町が、どこか詩的で、非現実の空間として浮かび上がるのだ。ちなみに最新作『精神0』でも、この2つの手法がより深化した形で使われている。
無声やモノクロームの映像表現は、ややもすると観察映画の規則に反しているように思える。だが、その意図は最初期から何一つ変わっていない。多義的であること。この世界の連続性をありのままに映し出すこと。おそらく、その対象は目に見えるものに限らないのだ。物語や歴史、記憶……。観察映画の被写体は、「具象」から「抽象」へと転換しつつあるように思える。
観察映画の系譜
観察映画を語るとき、しばしば引き合いに出されるのが「ダイレクトシネマ」である。ダイレクトシネマとは、1960年代のアメリカで始まったドキュメンタリー運動のことで、ナレーションを極力排し、出来事をありのまま(ダイレクト)に記録することを主眼としている。その当時、カメラが小型化し、同時録音の技術も導入されたことで、少人数での撮影が可能になった。それによって、臨場感のあるダイレクトシネマの方法論が確立されたのである。
いくつか代表的な作家を並べると、ボブ・ディランに密着した『ドント・ルック・バック』(67年)のD・A・ペニベイカーや、高価な聖書を売り歩く4人の男を描いた『セールスマン』(69年)のメイスルズ兄弟などが知られている。
そしてまた、日本でも広く知られているフレデリック・ワイズマンも、ダイレクトシネマの作家に数えられることが多い。ワイズマンと言えば、1967年の『チチカット・フォーリーズ』以降、アメリカを中心にさまざまな組織や施設を撮り続けてきたドキュメンタリー界の巨匠だ。近作『エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館』(17年)は、日本でも公開されたばかりである。
想田和弘は、このダイレクトシネマやワイズマン作品からの影響をはっきりと認めている。ナレーションを使わない点はもちろん、撮影のスタイルなどから考えても、観察映画の源流はここにあるのだろう。
とはいえ、それは観察映画の、ひとつの側面に過ぎないように思える。観察映画を「ダイレクトシネマ」という言葉ですくい取ろうとすると、こぼれ落ちてしまう何かがある。
たとえば『ザ・ビッグハウス』の共同製作者マーク・ノーネスは、ダイレクトシネマが世界的に時代遅れの手法となりつつあることを指摘した上で、観察映画の戦略を高く評価する。彼はヴァルター・ベンヤミンの言葉を借りながら、「体験」こそが進歩的なドキュメンタリーに必要であると、そう提言するのである。
おそらく、観察映画を観察映画たらしめている最大の特徴は、この「体験」にあるのだろう。実のところ、それは多くのダイレクトシネマとは——とりわけワイズマン作品とは——まったく異なる主題と言える。観察映画が示すカメラと被写体の関係性は、むしろシネマ・ヴェリテ(ダイレクトシネマと同時期、フランスで勃興した運動)に近いものがあるし、さらに言えば、小川紳介や土本典昭など、日本的なドキュメンタリーの系譜に連なるものでもある。
思い出されるのは映像作家・佐藤真のドキュメンタリー論だ。ダイレクト・シネマやシネマ・ヴェリテの総称である「Observational cinema」について、佐藤は「観察者」の立場を貫くことの倫理を語った。カメラの持ち手が批判的であるためには、現実と一定の距離を置く冷酷さが求められる。その宿命を乗り越えなければ、真に優れたドキュメンタリーは生まれない、と述べるのである(『ドキュメンタリー映画の地平』)。
観察映画の(もうひとつの)源流は、この佐藤によるドキュメンタリー史観にあるのだろう。想田和弘にとっての「観察」が、その語感とは裏腹に、けっして冷酷ではない事実。それは日本のドキュメンタリーの、その肥沃な土壌から生まれたものであるように思えてならない。
「観察映画」全作品解題
選挙(2007年)
精神(2008年)
Peace(2010年)
演劇1・2(2012年)
選挙2(2013年)
牡蠣工場(2016年)
港町(2018年)
ザ・ビッグハウス(2018年)
精神0(2020年)
「観察映画」をオンラインで鑑賞する方法
U-NEXT | Amazonプライム | UPLINK Cloud | |
選挙 | 〇 | 〇 | 〇 |
精神 | 〇 | 〇 | 〇 |
PEACE | 〇 | 〇 | 〇 |
演劇1・2 | 〇 | 〇 | 〇 |
選挙2 | 〇 | 〇 | 〇 |
牡蠣工場 | DVD化・配信未定 | ||
港町 | 〇 | × | × |
ザ・ビッグハウス | 〇 | × | × |
精神0 | DVD化・配信未定 |
参考文献
想田和弘『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』中央法規出版、2009年。
——『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』講談社現代新書、2011年。
——『演劇vs.映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』岩波書店、2012年。
——『観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること』ミシマ社、2016年。
——『THE BIG HOUSE アメリカを撮る』岩波書店、2018年。