・岡山で訪問介護事業に携わると監督の義父母と、その家に出入りする野良猫の生活を描く。
・カメラの射程は猫から福祉問題へと広がっていき、薄ぼんやりとした主題を映し出すことに。
『Peace』概要
ドキュメンタリー映画『Peace』は2010年に公開された。前作『精神』(08年)に引き続き、映像作家・想田和弘が提唱する「観察映画」の方法論に基づいた作品である。
製作のきっかけは、韓国・京畿道で創設されたばかりのDMZ国際ドキュメンタリー映画祭だった。この映画祭からのオファーを受けた監督は、「平和と共存」をテーマに岡山で短編を撮り始める。結果として75分の本作が完成し、同映画祭のオープニングで上映される運びとなった。その後、東京フィルメックスで観客賞を受賞するなど、世界各地で称賛を受けている。
カメラは訪問介護事業を運営している監督の義父母と、その家に出入りする野良猫の暮らしを観察する。猫社会の小さな諍いから始まった映画は、ボランティア同然で介護の仕事を続ける義父母、91歳で一人暮らしをしている「橋本さん」の姿を映し出していく。その先に見えてくるのは、思いがけない世界の僥倖と、「平和と共存」をめぐる問題の輪郭だ。
『Peace』解説
猫と人間の社会
猫の映画である。『不思議の国のアリス』のチェシャ猫から、『キャッツ』のジェリクル、果てはYouTubeの猫動画にいたるまで、猫の世界は奇妙に人を惹きつける。それはきっと、彼/彼女たちが私たち人間とは異なる哲学にしたがって生きているからだろう。猫は気まぐれで我が強く、往々にして飼い主に懐かない。「猫のようにミステリアスな作品を書きたい」と言ったのは、あのエドガー・アラン・ポーだった。
そう、猫は人間の手に余る存在だ。だとすれば、これほど「観察映画」に相応しい対象もないだろう。猫が自由な生き物であるように、観察映画も予定調和を好まないからだ。テレビ・ドキュメンタリー台本を用いず、ということで、『Peace』は猫の姿をとらえた映像から始まる。監督の義父母に出入りする、幾匹かの野良猫たちである。
『選挙』(07年)や『精神』(08年)がそうであったように、観察映画のカメラは一切の先入見を捨て去り、対象をつぶさに観察する。落穂を拾うように、この世界の断片をかき集めていく。その結果としてモンタージュされた映像は、この多層的な世界の輪郭を、思いがけない僥倖とともに映し出すはずだ。
ただし、こと『Peace』に関して言えば、少しばかり特殊な事情がある。本作は韓国の映画祭からのオファーを受けて製作されたのだが、その段階で「平和と共存」というテーマが設定されていたのである。予定調和を求めない観察映画にとって、この規定はあまり嬉しいものではないだろう。いったん与えられたテーマを忘れ、観想的な態度で作品を撮ることは、そう簡単にできることではない。
平和と共存の徴候
しかしながら、結果として観察映画の試みは今回も成功を収めたといえる。それも猫と、猫が指し示すいくつかの徴候によって、である。
たとえば、91歳で一人暮らしをしている橋本さんは、しこたま美味しそうに「Peace」の煙草を吸っている。自分だけが長生きしていることに負い目を感じているようで、ことあるごとに「往生しないと」と周囲にこぼすのだが、その体は病に侵され、すでに終末期医療を受けている。それでも生活保護に頼る橋本さんの姿を通して、私たちは高齢者介護の現実を思い知らされるだろう。
そこに思いがけずオーバーラップするのが、遠い戦争の記憶である。戦時中、橋本さんは一銭五厘の切手が貼られたハガキによって召集され、窓が暗幕で覆われた列車に乗って出征をしたのだという。だから兵隊の命は「一銭五厘」の価値しかないのだと、そう語るのだ。思いもよらない形で、忘れていた平和の主題がよみがえる。
それだけではない。西日が降り注ぐなかを橋本さんに見送られ、介護士とカメラは帰路につくのだが、そこでカー・ラジオから流れる国会中継では、時の鳩山由紀夫首相が介護問題について演説をしているのだ――。
ここには、複数の「徴候」が、未知の世界の兆しがあらわれている。野良猫の観察から始まった映画は、福祉をめぐる一連の主題を経由し、戦争の記憶へとたどり着く。最後には遠く離れた政治の世界へと接続され、ひとつの総体として「平和と共存」の主題を、薄ぼんやりと浮かび上がらせるのである。
ここでは一見すると何の脈絡もない徴候が、作品全体を通して伏線のような機能を果たしている。そう考えてみると、やはり本作は「猫」の映画なのだと思わざるを得ない。気まぐれで、人間の手に余る、ミステリアスな猫。それは「観察映画」をという方法論を象徴する、いわばイメージキャラクターといえるのかもしれない。
関連作品:『ミリキタニの猫』(2006年)
ネコメンタリーである。そしてまた「平和と共存」を象徴する作品でもある。
2001年のある日、監督のリンダ・ハッテンドーフは、マンハッタンの路上で絵を描く80歳の画家と出会う。彼の名前はジミー・ミリキタニ。自称グランド・マスター(巨匠)の日系人だった。
彼が描くネコの絵に興味を抱いた監督は、その生活を支援し、ともに暮らすなかで親交を深めていく。ミリキタニの口から話されるのは、戦時中、日系人強制収容所で起きた歴史の記憶。そして終戦後の悲惨な生活だった。
やがて解き明かされるネコの秘密が、9.11以後の私たちに本当の正義を教えてくれる。