
作品のポイント
自然/歴史的なスケールで壮大に描かれる、人類の原初的な欲望と愛の形。
キム・ギドクの真骨頂である暴力的な表現によって、「人間」が再定義されることに。
目次
『人間の時間』作品概要
韓国映画界の異端児、キム・ギドク。その23本目となる作品が『人間の時間』(인간, 공간, 시간 그리고 인간)です。2018年のベルリン国際映画祭で初上映されましたが、監督の性暴力をめぐる告発問題もあり、一般公開が危ぶまれる事態に。2019年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭での上映を経て、ようやく日本で劇場公開される運びとなりました。一方、肝心の韓国公開の目途はまだ立っていないようです。
主演は藤井美菜。日韓を股にかけて活動する女優であり、代表作に『デスノート Light up the NEW world』(16年)や、日本・台湾合作映画『おもてなし』(18年)など。
その相手役を務めるのが、日本でも熱狂的な人気を誇る俳優チャン・グンソク。代表作に恋愛ドラマ『美男ですね』(09年)や史劇ドラマ『テバク~運命の瞬間~』(16年)、小川彌生の漫画を原作とした『きみはペット』(11年)など多数。
さらに、謎の老人役として国民的俳優のアン・ソンギが出演。『シルミド』(03年)の鬼教官役をはじめ、『第7鉱区』(11年)における石油採掘船のキャプテン役も記憶に新しいところ。過去にも幾度かオファーを受けていたそうですが、ようやくギドク作品への出演が叶いました。
また、独善的な政治家を演じるのは『公共の敵』(02年)のイ・スンジェ。かつてはポン・ジュノ監督の長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』(00年)で気弱な青年役を演じたこともあります。
リュ・スンボムは『The NET 網に囚われた男』(16年)に続くギドク作品への出演。前作では不憫な北朝鮮人漁師の役を演じましたが、本作では一転して残忍なギャングの役を演じています。
オダギリジョーはヒロインの恋人役で出演。『悲夢』(08年)の出演をきっかけにギドク監督と親交を深め、本作では短い出演時間ながらも、悲劇の始まりを告げるキーパーソンの役割を果たします。
と、日韓両国の豪華なキャストが名を連ねた『人間の時間』。クルーズ旅行中の船が異次元へと迷い込み、理性を失った乗客たちが殺戮を行っていく……。ギドクのフィルモグラフィーでも特に凄惨な光景が描かれます。
『人間の時間』あらすじ
退役軍艦を改造したクルーズ船が、多くの乗客を乗せて航海の旅に出ます。そこに集まったのは年齢も職業も異なる人々。大統領候補の議員とその息子(アダム)、ギャングのボスとその子分、蜜月の若い男女、そして謎の老人……。
船が洋上に出るやいなや、彼らは酒と賭博、ドラッグ、そしてセックスに明け暮れます。そんななか、主人公(イヴ)の彼氏は議員の特権待遇に抗議し、取り巻きのギャングたちから目を付けられてしまいます。残忍な事件が発生し、ひとり崩れ落ちる主人公。絶望する彼女の前に謎の老人が現れ、優しい目で何かを訴えるのでした。
乱痴気騒ぎと血なまぐさい夜が明けると、乗客たちは異変に気がつきます。あたり一面の海が消失し、軍艦が宙に浮いていたのです。パニックに陥った乗客たちは、わずかな食料を求めて争い合うことになります……。
『人間の時間』解説:善悪の彼岸で、人間は「愛」の本質を取り戻す
ロングショットの映画
原題は『人間、空間、時間そして人間』ということで、自然/歴史的なスケールの広がりを感じさせる作品です。そのタイトルから、ギドクによる2003年の代表作『春夏秋冬そして春』を想起させることは言うまでもなく、両者にはいくつかの似通った点が存在します。
たとえば『春夏秋冬―』は章別(4+1章)の構成になっていましたが、本作も「人間」「空間」「時間」「そして人間」の4章からなる物語。欲望に塗れた人間の姿から始まる物語は、異次元での惨劇を経由し、ふたたび人間へと回帰します。
何より、俯瞰的な視点から紡がれる物語は『春夏秋冬―』そのもの。以前より、ギドク監督は自らのフィルモグラフィーを3つに大別していました。人間と人間の問題を描いたクロースアップの映画、広い視野で社会や宗教などを描いたフルショットの映画、そして、俯瞰的な目線で人間の存在を見つめるロングショットの映画。
『春夏秋冬』も『人間の時間』も、このうちロングショットの映画に分類されることは疑いを容れません。『春夏秋冬―』では、ひとりの男の人生を中心に置くことで、人間の業や宿命が宗教的に描き出されました。『人間の時間』の企図はさらに壮大であり、人間どころか人類の歴史にまで目が向けられることになります。
人類の歴史。「人生とはサディズム、マゾヒズム、自虐である」と語るギドクにとって、それはやはり暴力の歴史でもあるのでしょう。『人間の時間』では、ファン待望のサディズムとマゾヒズム、そして自虐の描写が続くことになります。おまけにカニバリズムまで。
動物化する人間
これから出航するクルーズ船を見渡し、「血の匂いがする」とつぶやく若い男(オダギリジョー)が予見しているように、ギドクの真骨頂である暴力の世界は「すでにして」船の上に存在します。それは間違っても、これから向かう洋上の異空間に存在するわけではありません。人間の持つ愚かさは、最初から目の前に提示されているのであって、この社会のなかに伏在するものです。
事実として、クルーズ船が異次元へと迷い込むまでもなく、乗客は酒池肉林の饗宴を始めます。その傍らで、先ほどの若い男は早々に物語から退場し、はじかれたように惨劇の幕が上がってしまうのです。
そこから始まる出来事の連鎖は、はたして人間の愚かさを増大させることになるのでしょうか?
おそらく、このような問いを立てること自体が的外れなのでしょう。なぜなら、船が異世界へと入る第2章以降、眼前の光景を繰り広げるのは「人間」ではなく「動物」であるからです。動物に賢さも愚かさもあるはずがなく、殺し合ったり共食いしたりすることも、すべては生き残るための本能にすぎません。
ここにきて、私たちはギドクの真意をはっきりと読み取ることができます。つまり、『人間の時間』とは人類史を遡り、「人間」の持っている人間性を、その社会的な虚飾をはぎ取ろうとする、まったく途方もない試みなのだ、と。
むき出しにされた人間、もとい動物化された存在にとって、社会秩序などあるはずがなく、上下関係に縛られることもありません。空間(自然)や時間(歴史)のパースペクティブから眺めるとき、人はみな平等であり、そこに差異はないのです。
喰らい尽くしの「愛」
だからこそ、狂騒の坩堝と化した船上で、ひとりの政治家(イ・スンジェ)が独裁を働くとき、私たちはどこか奇妙な印象を受けることになります。まだ彼には「人間らしさ」が残されていると、社会秩序を保っていると感じてしまうのです。非常事態を勝手に宣言し、残されたわずかな食料を管理し始め、自分と息子(チャン・グンソク)だけは豪勢な食事をとり続ける行為。それは誰よりも狡猾であり、皮肉なことに、誰よりも人間的なのです。
しかしながら、もしもこの政治家の姿に真実味を感じないとすれば、おそらく、それも正鵠を射た指摘といえます。なるほど、たしかに彼はステレオタイプの悪徳政治家であり、たとえば食べかけのチキンを甲板に投げ、飢えた乗客たちが群がる様子を見て楽しむような男です。ギャングの取り巻きたちをしたがえ、居丈高に食料を独占する姿は、明らかに度を越しており、リアリティを欠いています。
そう、この政治家はどこか嘘っぽい。嘘っぽい「人間らしさ」なのです。はたして、それは作品に対する正当な批判となるでしょうか。実のところ、彼の姿がリアリティを欠いている本当の理由は、その最期の言葉が教えてくれます。「私は自分の役割を演じたに過ぎない」と、そう息子に語りかける政治家は、どうやら自分の嘘っぽい「人間らしさ」を自覚していたように思えるのです。
結局、この政治家は外連味あふれる姿を演じることで、辛うじて人間的な理性を取り戻そうとしていたのかもしれません。けれども、それは他の乗客たちと同じように、彼が「動物」になりかけていることの証左でもあります。
「人間」から「動物」へと退行していく過程で、彼らが最後に見出す希望とは何でしょうか?
卑近な言い方になってしますが、それは「愛」なのだ、と『人間の時間』は教えてくれます。とはいえ、ここでの「愛」は通り一遍に巷で言われるようなものではありません。ギドクが導き出した答えは、愛とは喰い尽くしなのだ、という究極的な哲学です。
誰かを愛するとは、その者を自分の一部とすることであり、その者の存在を喰らうことなのだ、と。交尾の最中に共食いを始めるカマキリのように、自己犠牲によって初めて愛は成立するのだ、と高らかにギドクは宣言するのです。
「イヴ」とクレジットされた女(藤井美菜)は、この自己犠牲的な愛によって新たな「人間」を産み落とすことになります。人類を原初の段階まで巻き戻し、社会的な虚飾のすべてを剥ぎ取って誕生した新たな人間。それは果たして、希望に満ちた存在となるのでしょうか。
関連作品:『神々のたそがれ』(2013年)
ロシアの映画監督、アレクセイ・ゲルマンの遺作にして代表作です。原作はストルガツキー兄弟のSF小説『神様はつらい』。13年にわたる製作期間が費やされましたが、ゲルマンは完成直前に死去、その後に公開されたという執念の傑作です。
架空の惑星を調査するため、地球から派遣された学者たち。彼らの目線から、現地の権力者による暴力と抑圧、大衆の貧困と嘆きが生々しく物語られます。善悪のモラルなど超越し、ひたすらに「人間とは何か」という問いを突きつけられる驚異の3時間。
2020年4月に廉価版Blu-rayが発売されました。