
- 『レッドクリフ』で知られる台湾人俳優チャン・チェンを主演に招いた作品。
- 自殺未遂を繰り返す死刑囚の男と、偶然テレビでそれを知った主婦。常軌を逸した二人の恋愛。
- 死への欲動と生への欲動が、面会室という特異な空間で艶やかに交錯していく。
『ブレス』作品概要
キム・ギドク監督による14番目の作品『ブレス』(Breath)は2007年に公開されました。同年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門にも出品されています。
主役の死刑囚を台湾人俳優のチャン・チェン(張震)が演じたことが話題に。エドワード・ヤンに見出されて映画界に入った彼は、これまでウォン・カーウァイやホウ・シャオシェンなどの作品に出演。本作の後にはジョン・ウー監督の大作映画『レッドクリフ』(08年-09年)で三国志の孫権を演じています。
ヒロインの主婦を演じたのはパク・チア。『コースト・ガード』(02年)など5本のギドク作品に出演している常連で、後の『悲夢』(08年)ではオダギリジョーとも共演しています。
また、その夫役をハ・ジョンウが好演。ギドク作品としては『絶対の愛』(06年)に続く出演で、その後にナ・ホンジン監督『チェイサー』(08年)やリュ・スンワン監督『ベルリンファイル』(13年)といった大作に名を連ね、着実にスターダムを駆け上がっていきます。
自殺未遂を繰り返す死刑囚の男と、偶然テレビを見て彼に惹かれた主婦。面会室での異常な恋愛が描かれます。
『ブレス』あらすじ
陶芸家で主婦のヨンは、偶然つけたテレビで死刑囚チャン・ジンのニュースを目にします。彼は刑の執行を間近に控えていましたが、刑務所内で何度も自殺未遂を繰り返していました。
夫の浮気に気がふさがり、ふらりと家を飛び出したヨンは、明け方のタクシーに乗り込み刑務所へと向かいます。チャン・ジンとの面識はありませんでしたが、保安課長の気まぐれで特別に面会を許されるのでした。
チャン・ジンに向かって、子どものころ5分間臨死していた体験を話すヨン。自分の喉を刺して話すことができないチャン・ジンでしたが、そんな彼女のことを黙って受け入れたようでした。
こうして、ヨンの定期的な面会が始まります。彼女は鮮やかな装飾で面会室を四季に仕立て上げ、カラオケを歌ってチャン・ジンを喜ばせるのでした。ヨンの私的な話を聞かされるチャン・ジン。やがて二人は唇を重ね、体を重ねることになります。
雑居房のなかでは、チャン・ジンに嫉妬する収監者がヨンの写真をめぐって争います。一方、彼女の外出に堪えかねたヨンの夫は、尾行して刑務所の場所を突き止めるのでした。
やがて、チャン・ジンの死刑が執行される日が近づいてきます。
『ブレス』解説:エロスとタナトスがもたらす僥倖
エロスとタナトス
死刑囚と恋に落ちた主婦の物語です。なぜ彼女がこの自殺未遂の男に惹かれたかと問われれば、そこには「タナトス」があったのでしょう。フロイトが論文「快感原則の彼岸」で述べたのは、人間は本能的に「生の欲動=エロス」と「死の欲動=タナトス」を有しているということでした。この相反する力のせめぎ合いによって、私たちの行動は支配されていると、そうフロイトは言ってみせたわけです。
そう考えると「ブレス」というタイトルはまさに象徴的で、「息を吸う」行為と「息を吐く」行為が、この「エロス」と「タナトス」に重ね合わされていることになります。それは表裏一体のものであって、どちらか一方が欠けることも許されない。「9歳の頃、水に溺れて5分間だけ死んでいた」と話すヨナは、このタナトスに導かれて刑務所に向かったわけです。
こういった精神分析的で、いわば手垢に塗れた読解を、キム・ギドク自身はきっと拒絶すると思います。そこにはフロイトの精神分析がつねに批判にさらされてきたという問題もある。とはいえ、人間が無意識のうちに死へと導かれてしまうことは、私たちの感覚としても理解できるのではないでしょうか。家庭を破壊すると分かっていながらも、不倫に走ってしまうの人のサガも、日常に潜むタナトスの影なのかもしれません。
喉を突き刺す死刑囚
『悪い男』(01年)や『うつせみ』(04年)のように、キム・ギドク作品の主人公はどういうわけか寡黙であろうとします。本作の死刑囚チャン・ジンもまた無言を貫くことになるのですが、その理由が自らの喉を突き刺し、自殺を図るというもの。たしかに演じているチャン・チェンは韓国語を話せないわけで、メタ的にも黙らせておくしかないのですが、ギドク監督の大胆な演出には舌を巻きます。
その結果として、私たちは俳優の身体的な挙措により目が向くようになります。たとえばヨナと面会したチャン・ジンが、彼女の髪の毛を一本だけ抜き取る場面。あるいは手錠をされながらも彼女の唇を求める場面。死の淵に立たされながらも、わずかな生の希望に導かれたチャン・ジンの欲動が、繊細な演技によって伝わってくるのです。
何より憎い演出は、そうした挙措を眺める私たちのまなざしが、保安課長のまなざしと奇妙に一致してしまう事実でしょう。この保安課長、実はキム・ギドク自身が演じているのですが、二人の面会を例外的に許可した人物であり、監視カメラを用いて終始その様子を覗き見る存在です(この「窃視者」というのもギドク作品にお馴染みのモチーフです)。
結局、二人の異常な関係もこの男の上で転がされていたことになります。社会を逸脱したはずのヨナの愛は、結局のところ社会へと還って行ってしまう。本作がキム・ギドクらしい狂気の物語ではありながらも、一方で地に足ついた"真っ当さ"を感じてしまうのには、この構造的な理由があるといえます。
ヨンは壁紙や花瓶を持ち込んで、面会室を四季折々の情景で彩ります。冬の寒いなか春服や夏服まで着た上で、つたない(これが絶妙に下手です)カラオケで死刑囚の男を喜ばせようとするのです。
関連作品:『愛、アムール』(2012年)
キム・ギドクと同じように、ミヒャエル・ハネケも「暴力的」な映画を撮る監督です。哲学的で難解な作風で知られるハネケ作品は、究極にドライな暴力で満ち溢れています。
そんなハネケが普遍的な「愛」を描くとき、そこには底知れぬ緊張感が生まれることになります。直接的な暴力が存在するわけではありませんが、死と隣接した空間で描かれる超常的な愛。
安楽死を主題にした静謐な作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。