【5/16更新】往年のCS誌『bit』を読む(順次加筆)

コンピューター・サイエンス誌『bit』(1969~2001年)を読む。

『bit』が創刊された時代は、ちょうどコンピューター・サイエンスの黎明期にあたる。日本における情報技術の歴史を辿るのであれば、これ以上に適したコーパスは存在しないだろう。

なお、同誌は電子復刻版が販売されており、全386巻をAmazon Kindleなどで読むことができる。当時の広告(富士通の大型電子計算機!)をパラパラ眺めるだけでも面白いので、興味を持った方はぜひ手に取ってみてほしい。


刊行初期:計算機科学の誕生

刊行のことば

『bit』は、かつて共立出版から刊行されていた雑誌だ。創刊は1969年3月。コンピューター・サイエンスの専門誌として、国内では最古の部類に入る。

60年代末の日本といえば、政治の季節と呼ばれる時代の真っ只中。フランスを発火点とする「革命」の余燼がくすぶり、大衆の冷めやらぬ怒りは70年安保へと向けられていた。

1969年の1月には、全共闘学生による東大安田講堂事件が勃発。これをもって、学生運動はひとつの節目を迎える。『bit』が創刊されたのは、奇しくもその直後であった。

記念すべき創刊号の巻頭言を飾ったのは、物理学者の湯川秀樹。彼はいくぶん慎重な姿勢で、計算機科学の誕生を次のように言祝いでいる。

この数年来、「情報」という概念が、文明社会の新たな要因として見直されてきている。たしかに、「物質」や「エネルギー」の概念と並んで、「情報」という概念が明確化され、その役割が再認識されたことの意義は大きいといえよう。
しかし、情報産業とか、情報化社会ということばの裡に感じとられる、皮相な情報万能主義には、にわかに賛意を表しがたいものがある。われわれの生きている自然や社会は、これを特定な概念だけで理解するには、あまりにも多様であり、奥深いものである。

『Bit』1969年1月号、共立出版、9頁。

創刊号の提言としては不釣り合いなこの言葉は、同時にどこか予言的なニュアンスを含んでいる。

ここで湯川が掲げているのは、物理(エネルギー)/情報という二項対立だ。電子計算機の発明とともに生まれ落ちた「情報」という概念が、けっして万能ではないことを論じている。

今でこそ情報社会論が確立されているが、60年代末においてそれは未知の領域でしかなかった。にもかかわらず、湯川の指摘は正鵠を射ている。

彼の言葉は次のように続く。機械が人間を超越したときは「原子爆弾などと同じように、雙葉[ふたば]のうちからつみとらなければならない」(同9頁)と。それは21世紀の、来たるべきシンギュラリティを見据えているかのようだ。

脱物質主義とウーマン・リブ

『bit』が創刊した1970年前後は、大衆文化史においても重要な時代である。

物質主義的価値観から脱物質主義的価値観への転換期。換言すれば、物の豊かさを求める時代から、生活の質を求める時代への転換だ。

加えて、60年代末は政治闘争がひとつの節目を迎えた時期でもあった。全共闘をはじめとする新左翼運動は(一部の過激派を残して)失速し、コンシューマニズムと呼ばれる消費者運動やNPO・NGOの設立が相次いだ。

このような時代のなかで、最も大きな変化を遂げたのは女性だった。ゲバ棒を握る時代は終わったとばかりに、それまで抑圧されていた女性たちが解放の旗印を揚げる。

『bit』の創刊号、見開きの1ページ目には、日本IBMで働く女性アナリストの紹介記事が掲載されている。まだ「アナリスト」の語が人口に膾炙していなかった時代だ。この言葉は今より広い意味で用いられていたようで、彼女は調査・分析のみならず営業やプログラミングの職務も任されている。

こうして女性の活躍に焦点が当てられているのも、当時の世相を反映してのことだろう。実際、1970年には日本初となるウーマン・リブの大会が開催されている。

興味深いのは、記事中でプログラマーが「女性向きの職業」として紹介されている点だ。少なくとも1970年の時点において、プログラミングは女性が社会進出する武器となり得た。

現在、IT業界に正社員として働くエンジニア/プログラマーの割合は全体の20%以下である(IT人材白書2020)。なぜ当初の期待とは裏腹に、プログラマーは「女性向きの職業」ではなくなったのか。

フェミニズムの観点からも、『bit』の四半世紀を丹念に辿っていく必要がありそうだ。

PL/Iと勘定系システム

また、創刊号の『bit』では「PL/I」に焦点を当てた連載が始まっている。約2年にわたる連載を通して、その開発背景から言語仕様、実装例などが豊富に取り上げられた。

PL/I(ピーエル・ワン)は、IBMが1964年に開発した汎用プログラミング言語である。

PL/Iが登場する以前、初期のプログラミング言語は大きく2つの潮流に分かれていた。「FORTRAN」から「ALGOL」の流れを汲む科学技術計算の言語と、「COBOL」を代表格とする商用計算の言語だ。

科学技術計算の分野において、世界初の高級言語・FORTRANが果たした役割は大きい。数式をアセンブラに書き直すことなく、直接プログラムとして記述できるようになったからだ。

1958年に開発されたALGOLは、このFORTRANに対抗する形で、演算処理をより構造化するための発明をもたらした。制御構文を分割するブロックや、「::=」(代入)や「|」(または)といった記号を用いるバッカス・ナウア記法は、その最たる例である。

一方、1959年に開発されたCOBOLは、はじめから事務処理用として設計された。英語に似た構文やレコード(C言語の構造体に近い)の概念を採用し、ビジネスにおける計算機の普及を推し進めた言語だ。

PL/Iは、これらFORTRANとALGOL、COBOLの特徴をすべて備えた言語として注目を集める。

もはや科学技術計算と商用計算を区別する必要はなくなった。科学技術計算でも大量のデータを扱ったり、商用計算でも統計的な処理をしたりする機会が増え、両者を兼ねる汎用コンピュータへの期待が高まったのである。

さまざまな民間企業への導入が期待されたPL/Iだが、最も大きな変化をもたらしたのは金融業界だった。大量のデータを扱い、なおかつ高速な演算処理が求められる仕組み――いわゆる勘定系システムの構築である。

60年代が「政治の季節」の終わりであると同時に、「経済の季節」の始まりであったことを思い出そう。コンピューター・サイエンスの発達にともなって、日本経済の情報化が進んでいく。

それは現代資本主義の、あるいはFinTechの静かな幕開けであったといえる。

人工言語の論理学

順次加筆...

参考文献

増井敏克『プログラミング言語図鑑』、ソシム株式会社、2017年。
古賀直樹・五百蔵重典『体系的に学ぶ コンピュータ言語』、日経BPソフトプレス、2004年。

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