
- キム・ギドク初期の隠れた名作。海辺の街にやってきた一人の娼婦が紡ぐ、感傷的な物語。
- 後味の悪さには定評のあるギドク作品だが、本作はしんみりと穏やかな余韻を残してくれる。
- 「絵を描く」ことによって、世界に対して普遍的なまなざしが向けられる。
『悪い女~青い門~』概要
韓国映画の鬼才、キム・ギドク。その3本目となる作品『悪い女~青い門~』(파란 대문)は1998年に公開されました。興行的には失敗に終わった本作ですが、ベルリン国際映画祭パノラマ部門でオープニング上映されるなど、国際的には注目を集めることに。以降、キム・ギドクの名は世界に知られるようになっていきます。
主人公の娼婦ジナを演じているのはイ・ジウン(現在は引退)。民宿の娘ヘミを演じているのはイ・ヘウンで、後に『冬のソナタ』のチンスク役として有名となります。
港町の木賃宿を舞台に、娼婦として住み込むことになった主人公と、同居人の家族の関係性が感傷的に描かれます。
『悪い女~青い門~』あらすじ
23歳の娼婦であるジナは、小さな港町の民宿「鳥かご」にやって来ます。前任者の代わりとして部屋に住み込み、客を取って金を稼ぐためでした。宿には経営者の夫婦と、ジナと同い年の長女ヘミ、そして弟の高校生ヒョヌが暮らしています。
気立てのいいジナは、居候する家族たちと親交を深めようとしますが、ヘミは娼婦である彼女のことを受け入れません。一方、劣情を催したヘナの父親は、ある日ジナを犯してしまいます。そしてまた、思春期のヒョヌも性のはけ口を求めることに。写真のヌードモデルとなったジナは、そのまま彼の筆おろしを手伝うのでした。
家族の平穏を乱すジナの存在を、ヘミはいよいよ憎むようになります。やがて自分の恋人までジナの客となったことを知り、ついに我慢の限界を迎えたヘミ。ジナは警察に通報され、ヒョヌや父親と関係を結んだことも暴露してしまいます。
ところが、ヘミは知らず知らずのうちに、ジナに奇妙なシンパシーを感じるようになっていました。
『悪い女~青い門~』解説
浦項市のロケーション
キム・ギドクの初期作品にはモチーフの反復が見られます。絵画、水、貧困、売春。処女作『鰐』から『ワイルド・アニマル』そして本作へと至る道筋のなかで、ギドクはこれらのイメージを映像へと昇華させていきました。
本作の舞台となるのは、韓国最大の製鉄所がある浦項(ポハン)の木賃宿です。ちなみに、この浦項はキム・ギドクが海兵隊時代に過ごした場所であり、その後も幾度となく訪れていたといいます。70年代の面影を残す街並みと、海に突き出す錆びたダイビング台。タイトルの通り「青」を基調とするロケーションは郷愁に満ちあふれ、どこか日本の原風景とも重なります。
物語の主人公は、ドストエフスキーが『罪と罰』で描いたソーニャのように、清らかな心を持った娼婦ジナ。うらぶれた宿に住み込んで客を取る彼女が、資本主義の犠牲者であることは間違いなく、しかし同時に、憐れな男たちを救済する役割も担ってしまうのです。この無垢な娼婦のイメージは、後の『サマリア』(04年)で援助交際を企む女子高生として、ふたたび使用されることになります。
男たちを見つめ返す絵描きの目
ジナは泊まり客だけでなく、宿の主人やその息子、ヒモ男からも欲望のまなざしを向けられます。しかし、彼女は優れた絵描きであり、世界をまっすぐに見つめ返す「目」を持っていました。それは歪んだ社会に対して一定の普遍性を与える視線であり、資本主義的な欲望のまなざしを顕在化させてしまう視線です。ジナは正直な態度で世界を模写しているに過ぎないのですが、その解像度は周囲の男たちに羞恥と罪悪感を与えるのです。
そんなジナの視線は、同居先で同い年の娘ヘミに対しても向けられます。そもそも木賃宿の収入はジナに頼りきりで、ヘミの学費を工面できるのも彼女のおかげ。どこまでも心優しいジナは、密かに買ったウォークマンをヘミに贈ります。
それでも、貞操観念の強いヘミは娼婦ジナとの同居に耐えることができません。恋人に対しても純潔を守り抜く彼女は、ジナを警察に突き出して追い出そうとします。
そんなヘミも、やはりジナの素直な視線、世界を模写するまなざしに心を打たれて、ついには態度を変えることになります。彼女の見ている世界を自分も見るために、ヘミはジナに同一化します。
「誰もが裸で生きている」という主人の台詞。それは「すべての仕事は売春である」というゴダールの(あるいは岡崎京子の)文言を思い出します。誰もが貧しさのなかを生き抜いている。この歪んだ世界の犠牲者に必要なのは連帯であり、友情なのだと、雪化粧に覆われたラストはもの悲しく教えてくれます。
関連作品:『赤線地帯』(1956年)
溝口健二監督の遺作となった『赤線地帯』もまた、売春宿を舞台にした物語です。公開された1956年3月は、売春防止法が公布される直前のタイミング。この法律により、それまで公娼が働いていた風俗街(赤線地帯)が廃止されたことは広く知られています。
京マチ子や若尾文子、小暮実千代らの演じる吉原の娼婦たちが、困窮した暮らしの中で生きていく姿が描かれています。