『悪い男』(キム・ギドク、2001年)映画のあらすじと解説

『悪い男』作品概要

『悪い男』(나쁜 남자:Bad Guy)はキム・ギドク監督7番目の作品として製作されました。2001年に公開され、翌年のベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品されています。

主演を務めたのはギドク監督の『魚と寝る女』や『受取人不明』にも出演したチョ・ジェヒョン。2001年に放映された人気ドラマ『ピアノ』で主演を務めたばかりで、本作のヒットを後押しすることになりました。

ヒロインはソ・ウォン。ギドク監督の『島』で映画デビューを果たし、本作の演技で大鐘賞の新人女優賞を受賞しました。残念ながらその後は芸能界を引退しています。

愛した女を罠にかけ、売春婦として働かせるヤクザの物語。過激な暴力と性の描写が物議を醸しました。ギドク監督へのインタビューによると、女性批評家の90%が批判的なレビューをしたという本作ですが、劇場に足を運んだ80%の観客が女性だったといいます。

非公式ながら観客動員数70万人を記録し、それまでのギドク作品では最高の興行成績を収めました。

『悪い男』あらすじ

ヤクザの男ハン・ギは、街で偶然見かけた女子大生ソナに一目ぼれします。彼は何も言わず、無理やり彼女にキスを迫ります。すぐに周囲の男に取り押さえられ、ソナから唾を吐きかけられた彼はその場を後にするのでした。

そこからハン・ギの策略が始まりました。後日、彼女が本屋で万引き行為を働いているのを見かけると、手下を使って盗んだ他人の財布を拾うように差し向けます。罠にはまった彼女は財布の持ち主に捕まり、闇金融で1,000万ウォン(約100万円)の借金を背負わされてしまいます。

それほどの大金をすぐに返せるはずもなく、彼女は借金のカタとして売春宿に売られてしまいます。怯えて客を取らない彼女は、宿のママに向かって純潔だけは恋人に捧げたいと懇願します。

しかし、売春宿はハン・ギのシマでした。彼はソナが呼び出した恋人を暴行し、彼女から引き剥がします。その晩、彼女は泣きながら客に純潔を奪われるのでした。

そんなソナの姿を、毎日ハン・ギは売春宿のマジックミラー越しに眺めます。彼はソナに好意を抱いているようですが、けっして自ら手を出そうとはしません。

ほどなくして、ソナは自分を貶めたのがハン・ギの企みだった事実を知ります。怒り狂う彼女でしたが、やがて二人は奇妙な関係で結ばれていくことになります。

『悪い男』解説

寡黙なヤクザの男

主人公であるヤクザのハン・ギは寡黙な男で、作中ほとんど言葉を発しません。この「寡黙」というのはキム・ギドク監督の重要な主題系です。例えば『うつせみ』(2004年)や『メビウス』(2013年)のように、物語のほとんどを無言劇が占める作品まであります。

この「なぜギドク作品の登場人物は口を閉ざすのか」という問題を考えてみると興味深い。様々な理由を考察できますが、ひとつ言えるのは、彼ら/彼女らが自発的に黙しているのではないか、ということです。つまり、ギドクの登場人物たちは「話せない」のではなく「話さない」訳です。

この違いは非常に大きいと思います。例えば本作公開当時のインタビューで、ギドク監督はこんなことを語っています。

私の映画の登場人物が話さない理由は、何かが彼らを深く傷つけたからです。約束が破られ、他の人間への信頼が壊されたのです。人から「愛している」といったことを言われたのですが、その言葉は本心ではなかった。この失望によって、彼らは話すことを止めてしまったんです。

つまり、ギドク作品の寡黙な登場人物たちは"すでに"人から裏切られていることになります。言葉によって傷つけられた経験を、一種のトラウマのように抱え込んでいる。だから彼らは話すことを止め、セックスや暴力(どちらもギドク作品に頻出するイメージです)に頼ることしかできない。

サディストでマゾヒスト

そう考えると、主人公のハン・ギという奇妙な男のことも多少は理解できると思います。映画の冒頭、彼はベンチで横に座った女子大生ソナに目を奪われています。その理由は後に明らかとなるのですが、とにかく恋愛感情を抱くようになる。

しかし、ハン・ギは彼女に語りかける言葉を持っていない訳です。言語的なトラウマを負っている彼は、ヤクザとして誇示する暴力にのみ頼り、強引にソナの唇を奪おうとしてしまう。当然そんな恋が実るはずもなく、取り押さえられたハン・ギは彼女から顔に唾を吐きかけられてしまうのです。

そこでハン・ギが企んだのは、一般的には理解しがたい策です。恋するソナを売春婦にさせ、彼女が客と行為に及ぶ様子をマジックミラーで鑑賞する。もちろん彼はヒモ男でもなければ、寝取られ趣味があるのでもない(さらに言えば、彼は不能でもないことが明示されています)。ただ、そうすることでしか愛を表現できないのです。

ここでのハン・ギは"いじらしい"ほどに被虐的です。彼は一見するとサディズムの権化のように見えるヤクザの男ですが、同時に極端なマゾヒストでもある。というよりも、そもそもサディズムとマゾヒズムは対立する概念ではなく、本質的に両立するものです。

サディストは相手のすべてを奪おうとしますが、すべてを奪ってしまえば「愛」は潰えてしまう訳で、そうならないように手加減をするのが真のサディストです。と同時に、それは相手のすべてを奪えない苦悩をもたらすという意味でマゾヒスト的行為でもあります。

男は沈黙を守り続ける

重要なのは、このサディズムとマゾヒズムの両義性が言葉についても言える点にあります。

上で書いたように、ハン・ギという男は「話せない」のではなく「話さない」人物です。発話しようとすればできますし、事実、彼は重要な場面で絞り出すような声で台詞を発します。

しかし、普段の彼はけっして話そうとはしない。それは言葉がサディズム的な性格を持っていて、相手を傷つけてしまう可能性をつねに含んでいるからではないでしょうか。すでに引用したギドク監督の言葉を借りれば、「愛している」という言葉で裏切られた経験を持つ彼は、その暴力的なトラウマのために、人に「愛している」と口にすることができないのです。

結局、彼は口をつぐんでしまいます。そうすることで、徹底してマゾヒストの立場であり続けようとする訳です。

「言葉の暴力」なんて言われたりしますが、むしろ「言葉こそが暴力」にほかならないのであって、他者を傷つけないためには沈黙を選ぶしかありません。

さて、そんな『悪い男』の物語はどのように展開していくのでしょうか? それは『魚と寝る女』で描かれたような、一種ギドク的ともいえる解決策です。つまり、愛する女も自分と同じように沈黙させ、被虐的な立場に身を置くことで愛を成就させるのです。

詳細は語りませんが、それが非常にロマンティックな結末であることは保証します。固定観念を捨てて、ぜひ鑑賞してみてください。

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